はじめまして。
院長の齊藤博希(さいとうひろき)です。
私は京都府宇治市で生まれ育ち、父と母、10歳年の離れた兄と5歳上の姉の3人兄弟の末っ子です。
幼少期は活発で落ち着きがない性格だったようで、保育所で腕の引っ張り合いをして肘が抜け(肘内障)近くの接骨院に連れていかれることが度々ありました。
今でも鮮明に覚えているのは昼寝の時間が終わり、布団を持ち運ぶときに肘が抜けて痛みで大泣きしたことです。この時も保育所の先生に連れられ接骨院で整復してもらったのですが、一瞬電気が走ったような痛みでびっくりしてまた泣いていました。しかし、実はすぐに痛みはなくなって動かすことができたのです。
接骨院の先生は最後に半べそをかいている私に飴を差し出し、抜けた方の手で取るように促しました。私はおそるおそる整復してもらった方の手を伸ばし、飴をもらうというのがいつもの流れでした。
【強さへの憧れ】
ちょうどその頃よりテレビアニメの北斗の拳やドラゴンボール、土曜ゴールデン洋画劇場でよくやっていたジャッキーチェンなどのカンフー映画の勧善懲悪の世界観、弱きを助け強きを挫く姿に強い憧れを抱くようになり少林寺拳法の道場に通うようになりました。
小学校、中学校では勉強は苦手でしたが、道場での稽古は好きで約10年間お世話になりました。他所の道場へ出稽古に行かせていただいたり、オープンの大会に参加するなどしていくうちに異なる武道も学びたくなり、高校入学を機に空手を始めました。
高校は自転車で通える公立高校でしたが、空手道場は電車を乗り継いで通わなければならない場所でした。学校の部活のように3年間ほぼ毎日稽古に明け暮れました。ピリッと張り詰めた緊張感のある稽古の後にワイワイ楽しく自主練をする、そんなメリハリのある道場が好きで拳は常にズル剥け状態、スネや胸は青アザだらけで、つらいことはもちろんありましたが楽しく充実した3年間でした。
【治療家を目指したきっかけ】
毎日、楽しく厳しい稽古をする中で、膝を崩さないと正座ができない、親指の付け根が常に腫れぼったくなり痛むといった故障もあり、ケガをしない身体づくりや身体のケアに興味が湧きました。
当時は現在のようにインターネットで調べられる環境はなく、休みの日に本屋でセルフケアやスポーツ医学の一般書を買って読み実践する中で、漠然と「将来は人の身体を治すような仕事に就きたい。」と考えるようになりました。
そして、その頃によく指導してくださった先輩が治療家だったので、「自分もいつか治療家になりたい」という思いが強くなり、高校卒業後は鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の専門学校に入学しました。
【専門学校での学びと臨床】
鍼灸マッサージの専門学校の同期生には大卒の方や親と同世代の方もいて様々な境遇の人と過ごし、支えられながら学びました。高校まで勉強に対しての取り組みをおろそかにしていたので、生化学や生理学などの基礎科目に苦労しましたが自分自身で進むべき道が明確だったので必死に勉強しました。
毎日の学びの中で東洋医学について知れば知るほど「未病を治す」という予防医学の概念、空手をしていた頃に思っていたケガをしない身体づくりに惹かれ、どんどん勉強が楽しくなりました。その結果、卒業時には学校から京都府鍼灸師会賞をいただけるまでになりました。
卒業後は様々な症例をみて、自分自身スキルアップしていきたいと思い、総合病院のリハビリテーション科に勤務しました。実際に仕事として臨床の現場に立つと知識も経験もないため学校での勉強は全く通用せず、上司や先輩の先生に指導してもらいながら、なんとかついていくのがやっとの状態でした。
私は主に手術後の患者様の機能訓練や外来患者様の施術を担当していました。プレッシャーで押しつぶされそうになることもありましたが徐々に慣れ、責任のある仕事を任されるようになりました。
病院のリハビリテーションの目的である「医師のもと、多くの専門職が1つのチームとなって患者様が元の社会生活を取り戻される」ということにやりがいを感じていました。しかしその反面、3年間学んだ東洋医学が活かされないという心の葛藤や、日々の仕事の中で整形疾患や運動学に関してもっと勉強しなければならない、もっと知りたいという思いが強くなりました。
そして本来の健康を取り戻し未病を治す施設をいつか開業したいという思いが芽生えたため退職し、柔道整復師の専門学校に入学しました。
一度は社会に出たので働きながら通学できるように夜間部を選びました。午前中は整骨院で仕事、昼から夕方まで訪問鍼灸、夜は学校、帰宅後は夜中まで勉強とハードスケジュールでしたが目標が明確なので気合で乗り切ることができました。
整骨院の仕事では早朝から中高生のテーピングや施術、日曜日にはトレーナー活動のお手伝いなどをしていました。そんな中で、ケガや故障で試合に出られなくなる、志半ばで部活を引退せざるをえなくなるということを目の当たりにしてきました。
そんな時に自分自身が空手をしていた頃、ケガにより思うような稽古ができなかったり、試合が不完全燃焼に終わったりしたことを思い出しました。そして、このような方々をしっかりとサポートしていきたいと思い、仕事も学校も一生懸命に励んだ毎日でした。
【久御山町で開業と伏見桃山への移転】
柔道整復師の専門学校卒業後は整骨院や医院のリハビリ室で3年間仕事をさせていただき平成22年、京都府久御山町にて開業しました。
当時は整骨院の2階が住居で、長女が1歳で3人家族で楽しく充実した生活でしたが14年経つと完全なキャパオーバーの5人家族!!(しかも妻と子どもは3人共女の子なので我が家は女子率80%です。)
久御山で開業していた時のご縁で令和6年4月に現在の伏見桃山に移転しました。
病院や整骨院での経験をもとに開業しましたが、患者様にとって本当に必要なより良い治療を提案できるよう開業後も様々な勉強会に参加しています。
スポーツなどで起こったケガだけではなく、ケガを予防できる身体づくり、日常生活での不調、家事や育児での負担や精神的なストレスなどで目に見えない様々な症状があるのに原因がわからず不安を抱えておられる方々がたくさんおられると思います。
そのような方々の症状や不安に寄り添い、身体の痛みや症状を改善し、笑顔で充実した毎日を送っていただけるようお手伝いさせていただき、心と身体に健康の軸をつくる治療院 でありたいと考えています。